天忠党 顕彰慰霊祭趣意書

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天忠党
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中山忠尹公の御墓(京都盧山寺) 中山愛親公の御墓京都盧山寺(元御所内佛殿)
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中山忠頼公の御墓(京都盧山寺) 愛親公の書(春日大社蔵)
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中山忠伊公辞世 大阪平野滿願寺所蔵(先代小林大厳氏発見軸装)
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御霊牌 中山宗家の霊牌 忠伊公の御墓 (大阪桑津見性寺)

 

一、天忠党は倒幕の地下組織であり、内勅を奉じ極秘裡に推進された。総督は倒幕のため中山家に降下しているが光格天皇の皇子(武生宮)であり、後難を避けるためその存在を、意識的に隠ぺいされた(史例、仙石騒動、大塩の乱(参)脇坂淡路守家記録調書(寺社奉行)

一、安政三年五月忠伊公は、親族会議を開き忠英(忠伊嫡男)が倒幕運動より帰還する間、万一の場合を憂え、家督を弟(忠能)を準養子として一時相続させ、帰還の暁に忠英公が家督を相続する決定がなされた。ところが明治維新後この決定が忠能(叔公、甥の確しつとなり、遂に忠能は兄忠伊公の存在すら記録上から湮消滅させた事により、天忠党の実態も歴史上葬り去られた。(家督問題で本家花山院家理公は幽閉、その子威公は侯爵の爵位返上等発生した)

一、中山家内の争いも大きな要因であるが、忠能公はもともと公武合体派に属し、維新の礎たりし天忠党の実態と兄忠伊公を世に出すことを極力避けた(家督問題)また天皇補弼という絶対的権限を逆用、この圧力によって幾つかの非常手段を行使した。

① 世に喧伝されし忠能日記(三巻)手記及履歴資料と共に維新史研究の貴重資料として維新史料綱要(一〇巻)にも多くの影響を与えているが、この日記巻頭にある中山家譜より兄忠伊公を抹消し、その他諸記録の残片にも忠伊、忠英公についての記録を意識的に削除している。
② 忠英公は既に戦死したとの上奏をなし、総督忠伊公の側臣であった中山家大夫で明治天皇を養育申し上げた田中河内関係記録話題について禁句で、忠伊公の墓がある見性寺先代住職宏誉上人は観音念持佛像を奉じて三十年間も逃避行を続けたなど党関係者に対する処遇、記録面での政治的圧力は大きい。

一、史実の面から古文書など意識的に忠能公に消煙滅された(川辺伝次郎証言)様に現代その資料が乏しいこと。明治三十四年以後事跡上覧に供する関係上、党関係者以外その資料を中山家から公開しなかった等。

以上のような幾つかの事案が重なり、倒幕運動の実態が今日迄、闇に葬られてきたのである。中山家で倒幕の儀をなしてより百九十年目であり、総督中山忠伊公の自刃より百十八年目に当る時に、その実態が公表できる機会を得た事を喜びたいのである。

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天國の霊鉾奉祭 春日大社にて 天國の霊鉾奉祭の直会
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冨田 榎本 若林 倉田 二候 月岡
㟢格 正典 久一 義孝 地久
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殿


















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