森蔭 彬韶
表裏一体
いのちの会会長
森蔭 彬韶
一枚の紙も、裏からみると表があり、表からみると裏がある。
理の当然といわなければならない。
よくよく考えてみると、一枚の紙にすぎないことがわかる。
害あって利なき物の考え方、見方は反省すべきであろう。
この小さな誤りが社会を荒廃させ、国家の繁栄を妨げ、地球をも廃墟と化すであろう。
真剣に考究する必要があると思う。
人間の生命は、例外を除いて、せいぜい長生きしても九十歳か百歳であろう。
医科学の進歩によって、人間の寿命は確かに延びているのであるが、それで人間は幸福になったといえるかどうか、多くの疑問を抱かざるをえないであろう。
科学の進歩は日進月歩、今後もますます進歩をつづけて、文化文明は発達するかも知れないが、必ずしもそれが人類の幸福につながるとは考えられない。
過去の美しかった人類の夢は次次と毀され、今や不安と恐怖に変わりつつあるように思われる。
それは物質文化に精神文明が追いつけないからであろう。
むしろ科学や物質文化の進歩に逆行しているからである。
そのことは、過去僅か百年か二百年の歴史を振り返ってみれば容易にわかることである。
いま世界の科学者たちは、核戦争勃発後の地球のことを心配している。
米ソがもし核戦争をはじめたら、地球は凍結し、黒い雨、死の灰、核の冬が到来、そのとき生き残る生物はゴキブリか、洞窟に住む一部の生物くらいのものであろうと予見している。
仮りに一部の人類が生き残れたとしても、死の灰の影響をうけて、障害者となり、生きて生き甲斐のない生活を余儀なくされるであろうという。
また、地球は数億年以前の状態になってしまうといわれている。
権力か金か、人類の将来についていろいろ論議している間にも、その時は刻々と迫りつつあるというのに、なぜ人びとは率先して目ざめようとしないのであろうか。
誰よりも真っ先に、そのことに気づき人類の救済に当たらなければならないことを痛感するのである。
権力を有するものが偉いのではない、財を成したものが偉いのでもない。
核戦争が起これば、人類はすべて終息を告げることになるのである。
戦争を滅ぼさなければ、戦争が人類を滅ぼすことになるとすれば、地球上から戦争をなくするための英知の持ち主と、その実践者こそ今世紀最高の救世主となりうるのである。
地位や立場を異にするとも、すべての人が、人類のいのちを守るというひとつの目的に向かって全知全能を傾けなければならないと思う。
政治・思想の相克、宗教の違いを越えて、大道につかなければならない。
人類存亡の岐路に立つ現代社会において、人類差別など愚かといえば、これくらい愚かなものはないということに、幾何の人が気づいているであろうか。
人間の生命は地球よりも重いといわれており、いま正に、美しいかけがえのないこの地球が滅びてしまうかも知れないといっているのに、自ら墓穴を掘るが如く、小さな小さな問題に神経をとがらせて相克をつづけ、社会的荒廃をまねいている病根は一体何なのかを考えてみる必要がある。
それは、人間が自ら人間性を喪失しているからであろう。
人間が人間の尊厳をそこない、それを省みないからである。
人はそれぞれに人格の形成に努め、一人一人の生命を尊ぶ心を養い、互いに人権を護る社会環境をつくることは、一人ひとりのしあわせを守る原点であり、世界恒久平和を達成する決め手である。
思うに、百言を弄するよりも一つの実践者こそ現代が求めている尊ぶべき人材ではなかろうか。
率直にいって、人類の絶滅者を究明し、指弾する英知と勇気と決断が望まれるこんにちではないだろうか。
昭和59年12月1日