山蔭家
山蔭員衡(一七五〇~一八一〇 宝暦元、三、一~文化七、八、二八)
従三位、中納言、陰陽頭 号 恭学院 山蔭中所
閑院宮兼仁親王(ノチ光格天皇)に國学を御進講。
卜部萩原家六代正二位神祇大副員幹卿の子。坂上丹波流正三位修理大夫錦小路頼尚の猶子として坂上氏に入り全國坂上氏の揔統領(氏長者)となり、神祇蔭稱後山蔭家を興す。(山蔭神祇道)
光格天皇御宇寛政五年正二位中山大納言愛親公勅命により関東下向。帰京後徳川幕府の専驕を慨歎し皇威を挽回せんと嫡男忠尹、従三位山蔭員衡、正五位左兵衛岩倉具尚武者小路少将公望他侍数名と王政復古の謀議に参劃し、全國坂上一党に同志を募る(これが後の天忠党總督中山忠伊公傘下連絡、情報財政面で活躍する坂上一党であり、伊勢神宮、御陰参りの母体ともなる)文化六年幕吏に察知され、摂州平野に流罪となり、平野坂上民部邸にて薨ず。
蔭陽頭
従三位右近衛中将
中納言
山蔭員衡
宝暦元年三月一日生
文化七年八月二十八日薨
六十一
父 正二位荻原員幹 |
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員衡嫡女
松枝(枩子)
享和元年明治六年十月十六日薨
七十三
父 従三位員衡
母 宰相局
正三位中山忠伊室 |
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松枝嫡女
照代
弘化元年十一月廿一日
明治三十年七月六日薨
父正三位左中将忠伊
母 松枝内待 |
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照代実姪
血脈嗣女
尊子
明治二十四年六月九日生
昭和二十九年五月八日薨
父 正三位宰相忠英
母 正三位左中将花山院
家理 女 愛子 |
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尊子次女
往子
明治四十五年三月十三日生
昭和四十一年二月二十五日薨
父 故有父名明セス
母 従三位宰相忠英
女 尊子 |
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尊子長女
小夜子
明治四十三年八月八日生
昭和五十九年五月三十日薨
父 故有父名明セス
母 従三位宰相忠英
女 尊子 |
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小夜子養嗣子
忠親(師親)
昭和八年八月十日生
本廟本願寺院主 門跡 |
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忠親霊代
法親
昭和二十五年一月十七日生
本廟本願寺第二世院主
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その1 その2