天國の鉾のいわれ

天國の霊鉾とは

豊葦原之千秋長五百秋之瑞穂國は汝治さむ國なりと、天照大御神の御神勅に依り天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命、高天原よりご降臨の砌り天八意思兼命の神慮に依り天石凝姥命の鍛え給えし御鉾に天児屋根命畏みて天乃御中主大神、大神霊に招神勤請の大祝詞を奏上し天孫國家守護を祈願され降鎮賜う。

御神霊、名
 『大元霊天乃御中主天津八都奈義日火岐志地海岐志天之國常立大神』と御尊称奉ります。天國の霊鉾は天國常立大神の御神霊により天孫國家守護に不可思議な霊威を以て天皇の玉体奉護と國体護持をし皇威発揚に幾多の御微あり神徳まことに宏大なる霊鉾なり。霊験あらたにして、人皇三十五代皇極天皇御宇皇紀一三〇五年(西暦六四五年)悪逆非道の蘇我入鹿を中大兄皇子(後の天智天皇)中臣鎌足(藤原鎌足)等と謀り天國の霊鉾を奉じその御加護のもと蘇我入鹿を誅し給う。

皇極帝の御下問に中大兄皇子地に伏して奉さく鞍作(入鹿)天宗を滅して将に日位を傾けむとす豈天孫を以て鞍作に代へむ耶と(日本書記)。

これ即ち大化の改新の礎となれり。人皇百十九代光格天皇御宇尊号事件の砌中山大納言愛親戴勅命を受け天國の霊鉾を奉贖し関東へ下向神鉾の御加護のもと死を決して朝憲皇威の尊厳を説くまこと古今稀なる舌戦たり世にこれを中山問答と称す。

終に朝威を挽回し皇室の尊厳を諸大名に知らしむ天皇叡感浅からず愛親に永代大臣の家格を賜う爾来天國の霊鉾は中山宗家累代の重宝として正嫡之を受け継ぎ相伝うこと定まれり。愛親戴の子忠尹、父祖誠忠の志を受け同志を集め倒幕の策謀をなせり明治御維新より七十有余年前のことなりその子忠頼戴能くその志を継ぎ勤皇に精励す文政三年忠伊戴十七歳のとき光格天皇の内勅を受け天國の霊鉾を奉贖以来四十数年間諸国を巡察志士に尊皇の大義を説き倒幕活動に尽瘁また天忠党を組織し檄を発して勤皇倒幕運動を鼓舞し倒幕の中核として明治維新の魁たり元治元年

 大君の御盾となりて尽くさむと 思ふ甲斐なく捨つる命か

他の時世を残し悲噴の中に自刃さる父忠伊歿(死)後忠秀卿その意志を継ぎ若年にして倒幕運動に参画神鉾を奉じ能く維新の大業成就に精励の誠を致す。正二位大納言愛親卿勅を奉じて吾妻下向の砌より倒幕維新に至る間即ち五代にわたり天國の御神鉾を奉じその霊威の下朝憲の発揚にまた神鉾の霊験に依り一身の危難に神助下り命を全うする事数知れず以って維新の大業に奉公の誠を致すを得たり。天國の霊鉾の御神徳宏大無辺なり誠に畏き極みなり。

当鉾を中山宗家二十八代正嫡忠親受継ぎ奉持す。霊鉾の御神威と無辺な神徳霊験に驚戄、故北白川宮大妃殿下(明治帝第七皇女)故甘露寺受長氏(明治神宮宮司)より鉾祭祀の発案があり再度のお奨めに思慮中の処この度忠親鉾祭祀を発願御神霊魂鎮まります御社を創建日夜神明に奉仕以って御神徳に応え奉り天孫國家守護を祈願尊皇愛国の思想宣布に一身を捧げ祖先の意を体すものなり。

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倒幕ノ内調
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